明治の皇室典範では、
皇位の継承資格を「男系の男子」に限定するのと、側室から生まれた庶出(非嫡出)子孫にも継承資格を認める事が“セット”で制度化された。これは皇位の安定的な継承を確保する為の当然の措置であった。しかし現在の典範では、周知の通り、前者を受け継ぎながら、後者は明確に切り捨てた。これでは皇位継承の将来は不安定たらざるを得ない。従って、もし皇位の安定的な継承を願うならば、側室制度を復活し、非嫡出子孫にも継承資格を認めるか、そうでなければ「男系の男子」という限定を見直すしかない。その二者択一だ。だが、果たして側室制度の復活など、今の時代にあり得るか。以下、明治時代に於ける側室の実態を示す記述を紹介する。「明治21年に西洋式の明治宮殿が完成。宮殿の奥、うっそうとした森にかこまれた一角に、天皇のプライベートスペース『御内儀(おないぎ)』はあった…御内儀は寝室(御格子〔おこうし〕の間)を中心とした平安時代からつづく寝殿造りを基本に造られており、天皇の居住区域と、それより一回り小さな皇居の居住区域に分かれている」「(夜になると)皇后は…天皇に寝る前のご挨拶をする。…ご挨拶が終わると、天皇と寝室を共にしない皇后は女官(にょかん)を従え自分の居住区へと戻っていく」「皇后が去った御内儀では、いよいよ天皇が立ち上がり、その晩宿直の権典侍(ごんのてんじ、通称すけ、いわゆる『お后〔きさき〕女官』。御内儀では交代で終始天皇の側につき、侍寝〔じし〕も交代で行う)2名、権掌侍(ごんのしょうじ、通称ないし、基本的には侍寝しないで天皇・皇后のお身の周りのお世話をする『お役女官』だが、例外的に一部は『お后』の役目を果たした者がいた可能性がある)1名と共に衣替えの間(寝室の隣の部屋)へと向かった。天皇は白羽二重の寝巻きに身を包む。寝室である御格子の間へ同行できるのは権典侍1名のみ、残りの2人はそのまま衣替えの間で眠りにつくことになる。同行した権典侍は天皇の寝台の脇で眠ることになっている…寝室に同行する権典侍は日ごとに交代し…権典侍はいつも天皇に寄り添う特別な存在だが、とりわけ大切なのが『お后』としての仕事である」
(米窪明美氏『明治天皇の1日』)